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製品進化とマネジメント風景 第47話 クリーン水素製造技術の進化とマネジメント

最近では毎日のように脱炭素やグリーンテクノロジーという言葉を見たり聞いたりするようになりました。エネルギー利用に関する大きな変化を予感させる話です。

脱炭素に関しては水素が新たな燃料として注目を浴びています。そして、グリーン水素とかブルー水素という新たな言葉が使われるようになりました。個人的にはこれらの言葉に少し違和感を持っています。些細なことかもしれません。ただ、言葉というのは、いずれ当初の狙いと異なる方向に一人歩きを始めるものであるため、名付けは注意を要する行為です。「グリーン」は仮に誤解があっても問題になる話には発展しないと考えますが、「ブルー」については誤解を招くのではないかと心配しています。なぜなら、「ブルー」には空や海を表わすのに使う言葉であり、地球そのもの指す言葉であり、良いイメージを与えるためです。

ブルー水素の製造はCCS (Carbon Capture & Storage) を前提にした方法であり、決して持続性のある方法ではありません。人間は、大気中のCO2濃度をこれ以上高めないために一時的にこの方法に頼る必要がありますが、あくまで暫定的な措置です。個人的にはグレー水素の方が実情にマッチした名付けのように思います。

グリーンという言葉が植物に由来しておりことは明らかです。(植物のように)再生可能、地球環境(自然)に優しいなどの意味を持っていると思われます。前者はストレートに伝わりますが、後者はよく考えると人間の傲慢さを表しているとも言えます。なぜなら、植物と人間が求めている地球環境は実は異なるからです。地球の歴史で考えるとCO2濃度は徐々に下がってきています。その結果、サトウキビやトウモロコシといった一部の植物は1200万年前にわざわざ低CO2濃度に適合するように進化を遂げました。これに対して、稲や小麦を含む大多数の植物は変わっていませんので、実は昔の高CO2濃度を望んでいる可能性が高いと考えられます。そう考えると、グリーンという言い方は実は妥当ではないかもしれません。

他方、グリーンという言葉を使う狙いが植物から学ぶ、手本にするという意味であるならば、その意味が人々に広がっていくのは良いことだと思います。植物はCO2と水と太陽光だけで生きていける生物です。人間が炭化水素燃料に頼らず、植物のように太陽光と水だけで生きられるようになることを目指すというメッセージになります。

ご存じのように植物が独立栄養生物なのは、自身の身体に光合成を行う緑色(グリーン)の葉緑体を持っているからです。緑色である理由は、葉緑素が400-500nmの短波長の光と700nm付近の長波長の光を吸収し、それ以外の波長の光を吸収しないためです。500-700nmの波長の光は大気中の酸素、水蒸気、二酸化炭素に吸収されやすく、エネルギーとして余り使えないのです。つまり、植物は大気や天気の影響を出来るだけ受けにくい形で太陽光エネルギーを吸収しようという方向に進化したと考えられます。緑色であることに限らず、植物の光合成メカニズムは実に巧妙であり、生物における進化の凄さを感じさせます。人間もようやくその凄さに気付きはじめましたが、まだ、真似することができません。何とか近づこうとしている状態です。

前回は水素社会への紆余曲折を検討しましたが、今回は、紆余曲折の後に来るであろう、クリーンな水素製造法を議論します。具体的には、その代表選手である人工光合成と、対抗馬である太陽電池と水電解の組み合わせを中心に比較検討していきます。人工光合成は、そのネーミングからして植物の光合成から学ぼうという意図を感じますので、本題に入る前に植物の光合成の巧妙さを先に確認しておきましょう。

植物の光合成には明反応と暗反応の2つがあります。明反応は、光エネルギーを、ATP(アデノシン三リン酸)と還元された電子伝達体(ニコチンアミドアデニンジヌクレチド酸NADPH+水素イオン)という化学エネルギーに変換します。その際、水から得た酸素を気体にして大気に放出します。ATPは生物が活動する際や自らの身体を作る時に使用するエネルギー源です。しばしば生物のエネルギー通貨と呼ばれます。一方、暗反応では、ATPと上記の電子伝達体を使ってCO2を還元し、糖、デンプンあるいは植物油という炭水化物に変換します。

現在の人工光合成が手本としているのは植物光合成の明反応の方であり、特に水を酸化する部分です。葉緑素は、光子エネルギーを受け取ることにより、安定軌道にいた電子が不安定な軌道に移行し、正孔(ホール)と電子に分かれ、電化分離状態となります。この正孔によって水が酸化されて酸素が発生し、水素イオンと電子が残ります。植物ではこの水素イオンと電子を分けて使いますが、人工光合成ではこれらを合体させて水素を発生させます。人工光合成は水と太陽光だけから水素エネルギーを作るので非常にクリーンです。

人工光合成はCO2の排出無しに人が水素エネルギーを供給してくれるのですが、その際、CO2を吸収・固定化しないのでカーボンニュートラルとなります。一方、植物、特に木は大気中のCO2を自身の身体に固定化します。枯れた後、一部は微生物に食べられてCO2に戻りますが残った部分は土に埋まって炭化し、石炭のように非常に長い時間、地中に炭素を留めこむことが可能です。つまり実はカーボンネガティブなのです。枯れた木を燃料と燃やして使うことも可能ですが、固定化したCO2が大気に戻るだけなので、そのように使ってもカーボンニュートラルといえます。だから植林というのは最も効率の良い脱炭素方法だという人もいます。

現在の人工光合成は、3つのアプローチで進んでいます。それらは半導体光触媒、色素分子・金属錯体触媒および生物利用です。

第1の半導体光触媒は、1967年に日本で発見されたホンダーフジシマ効果が起源です。これは、水に沈めた二酸化チタン(半導体)に光を照射すると、水が酸化されて電気が流れ、対極から水素を発生するという現象です。半導体光触媒には2つの型があります。1つ目は光触媒で水を酸化して水素発生する所まで行う型であり、もう1つは酸素発生触媒と水素発生触媒の2つを用意し、電子を伝達する媒体溶液を通じて持続的に反応を続ける型です。光触媒を粉末化して水溶液に入れて太陽光に当てるだけで水素を発生させるので、製造設備の製造にかかるエネルギーを非常に小さく抑えられるというメリットがあります。

第2の色素分子・金属錯体触媒によるアプローチは、葉緑素が光を集めやすい色素と水を酸化する金属錯体の組み合わせであることに着想を得て、葉緑素の機能を人工的に作り出してさらに高効率化しようというものです。ルテニウム錯体、鉄錯体、アルミニウム錯体などの利用が検討されています。

第3の生物利用アプローチは、微生物の力を借りながら水素を作り出すものです。植物の光合成によるエネルギー効率は概ね1%と低いですが、その理由は、自身の増殖のためにエネルギーを消費する暗反応があるためです。よって、この暗反応を抑えて明反応を活性化させれば水素エネルギーの生成効率が上がるだろうという考えに基づいています。この方法だと微生物に過酷な労働環境を強いることになるのですが、人間のために我慢してくれということでしょうか。

人工光合成のエネルギー生成効率は現状7%のレベルであり、植物と比べると高いものの、まだ、社会実装できるレベルにはありません。目標効率は10%と言われており、あと少しの所まで来ています。目標効率10%という数字はあるのですが、その妥当性を議論した資料が見当たらなかったため、自分で検討してみました。後ほど話したいと思います。

さて、ここから、人工光合成のライバルである太陽光発電と水電解の組み合わせの話に移ります。太陽光発電は半導体を使いますが、原理としては光合成と同じく、光子のエネルギーによって電子を安定軌道から不安定軌道に移し、自由に動けるようにしてそれを利用します。この原理が量子力学を利用していることは明らかです。人間が量子力学を利用しはじめてからせいぜい50年程度ですが、植物は何十億年も前から量子力学を使いこなしていたのですから自然の力には驚かされます。

水素を作るには、太陽光発電で生み出した電力を使って水を電気分解します。アルカリ水を用いるタイプと純水を用いるタイプがあります。大規模化、低コスト化は前者の方が進んでいます。後者は純水を使う必要があり、小型化が可能ですが純水の入手が少し面倒です。純水を得る方法としては昔から蒸留がよく知られています。この方法は製造した水素燃料の数分の一を消費するのでエネルギー効率が悪く用いられなくなるでしょう。今日では濾過膜の技術が進み、エネルギー消費を大幅低減して純水を作れるようになったため、純水を使う電気分解も選択肢に入ってきました。

では、本題である水素製造におけるエネルギー効率の比較をしましょう。人工光合成は前述したように、現状、太陽光エネルギーを水素エネルギーに変換する効率は約7%です。

これに対して、太陽光発電の発電効率は、主流の単結晶シリコンが約25%ですが、運用による経年劣化を考慮し、ここでは20%という数字を使います。太陽光発電はその性質から出力が不安定であるため、水電解をするためには一度、発電した電力を二次電池に貯める必要があります。ここではリチウムイオン電池等を使うことにすると、二次電池の充電効率、放電効率を約90%と考えると、ここで約20%のエネルギー損失が発生します。最後の水電解の効率は常圧水素であれば90%レベルに達しています。単純に効率計算すると、0.2×0.8×0.9=0.144、つまり14.4%となります。

この数字だけ見ると太陽電池と水電解の組み合わせが優位のように見えますが、まだ考慮が抜けている事があります。それは、太陽電池、リチウムイオン電池、水電解装置を製造するためにはエネルギーを投入しなければならないことです。

これを評価する指標としてEPT(Energy Payback Time)があります。これは、装置製造に使ったエネルギーをクリーンエネルギーで回収するための期間です。太陽電池のEPTは約3年まで下がってきました。ここではリチウム電池と水電解装置のEPTをそれぞれ2年、1年と仮定します。装置のライフサイクルを20年間とすれば、太陽光発電+水電解の組み合わせシステムは、最初の6年間は製造エネルギーを回収するだけということになります。しかし、その後の14年間はクリーンな水素エネルギーを供給することが出来ます。よって、ライフサイクルの効率としては、14.4%×(14/20)=10.1%と見積もることができます。二次電池や水電解装置のライフサイクルの性能劣化や耐久性が不足すると、さらに効率が低下してくる可能性があります。

人工光合成の製造装置は、製造エネルギーがかなり小さいことが予想できるので、1年以内に回収できるでしょう。そう考えると、現在の目標値10%は、妥当な目標値だと言えそうです。

現時点では人工光合成の現在の効率は7%レベルであるため、太陽光発電と水電解の組み合わせに優位性があります。経年劣化による太陽電池の効率低下を抑え、二次電池と水電解装置のライフサイクルを伸ばす技術を高めれば、その優位性はさらに高まると個人的には思います。

以上から、人工光合成は、水素を製造する明反応だけを利用するならば劣勢だと推定します。ただ、もし、人工光合成が暗反応の部分も対応できるようになれば、別の意味で大きな潜在性があると考えます。植物は暗反応により糖、デンプン、植物油という人の食べられるものを生産します。人工光合成が暗反応を実現すれば、発電の代わりに人工的な食料生産を出来るというわけです。人は電気が無くても生きていけますが、食料が無ければ生きていけません。災害等の緊急事態になっても、太陽と水と大気のCO2から食料を生産できるならば、安心だと思いませんか。

さらに、太陽光と水だけ使ってCO2を安定な形で固定化し、それを地中に埋めるという選択肢もあります。金属炭酸塩などは非常に安定なので、固定化されたCO2が大気に戻ることはありません。つまり、暗反応と明反応を人工的に使いこなせるようになれば、それを持ってCO2濃度を下げることが可能になるということです。CO2低下は、一部の植物には迷惑かもしれませんが、人間にとっては良いニュースになるでしょう。さらに人工光合成による食料生産性が上がり、余剰分が出てくればそれをバイオ液体燃料として利用する道も出てきます。

100年に一度の変化により、既存ビジネスの前提条件が変わりつつあります。先の変化を読むのは非常に難しいことですが、企業が生き残るためにはいくつものオプションを用意する必要があると考えます。どのようなオプションがあるかを検知するためには、自社の事業分野だけでなく、世の中全体を俯瞰しながら自社の事業に影響を及ぼす要素を具体的に書き出していく必要があります。自分の身の周りだけしか見ずに選択肢を狭めてしまうと、きっと痛い目に遭うでしょう。貴社は、自社の今後の進化についてのオプションをどのように探していきますか?