製品進化とマネジメント風景 第1話 半導体の驚異的な社会への浸透とマネジメント
今、周りを見回して半導体を使っていない製品を見つけるのはかなり難しいと思います。しかし、半導体の歴史は、1948年のゲルマニウム点接触型トランジスタを本格的な開始と考えると、まだ70年程度です。私の専門であるジェットエンジンは、この10年前くらいに同じ状況にあったので若干先輩です。同じ土俵で比較するのは少しおかしいですが、人間社会への浸透という視点で比較してみると、その浸透度合いは大きく異なります。
ジェットエンジンは、その転用型が、船の動力や発電用としても使われていますが、主たる適用は航空機用です。社会に浸透しているのは空の部分に限定されます。これに対して半導体の浸透範囲はものすごく広い。ちょっと挙げるだけでも、コンピュータ、電話、ラジオ、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、照明、エアコン、太陽電池、エレベータ、乗用車、電車、航空機、人工衛星、発電・送電です。その広がりは比べ物になりません。
なぜ、このように広がったのか、その過程でマネジメントはどのように関与したのか、今回はこれを考えていきたいと思います。
最初に、現在の世界の半導体市場の統計(WSTS: World Semiconductor Trade Statics)を見たいと思います。WSTSでは、半導体市場は大きく4つの製品群に分けられています。それらは、集積回路IC、光エレクトロニクス、センサー・アクチュエータおよび個別半導体(ディスクリート)です。2018年の売上ベースで見ると、集積回路ICが圧倒的ですが、近年は、光エレクトロニクスとセンサー・アクチュエータの成長が顕著です。私の目には、これはIoT時代の幕開けに見えます。
そもそも半導体の研究開発、技術開発をする動機は何だったのか、まずはそこから見ていきます。トランジスタを発明したのはベル研究所の3人の研究者ですが、その研究動機は電話交換の自動化のためと言われています。電話交換は、使用量が少ないうちは、人間が繋ぐ役目をしていましたが、利用量が増えるにつれて自動化の必要が生じました。そこで求められた機能はスイッチングでした。
同じ機能をもつ部品として真空管がありました。真空管は、スイッチングだけでなく、増幅作用も持ち、無線通信やラジオ、テレビ、コンピュータなどに使われていましたから当然の候補です。しかし、真空管は、電力消費が大きく、しかも、耐久性が不十分という問題がありました。
そこで、固体で耐久性の高いスイッチング素子を創ることが求められ、ベル研究所では半導体の研究が始まったわけです。スイッチングが出来るということは、増幅作用も持つことが予想されましたので、つまり、半導体は真空管市場の代替が事業戦略であり、研究開発投資を正当化する理由だったと考えられます。
既存技術を凌駕する代替技術を開発しようとするのは、産業用製品事業における標準的なアプローチです。半導体の研究がうまく行った場合に予想できた市場としては、まず、通信、ラジオ、テレビ、コンピュータ市場における真空管の置き換えがあり、その延長線上としてモーター制御、電力制御への応用が考えられました。これでも十分に大きな市場になると思います。しかし、ここまでだったならば、今ほどの広がりは無かったと思います。では、何がこの広がりを生み出したのでしょうか?
1番の要因は、1965年に発表されたムーアの法則が示唆していることだと思います。すなわち、半導体集積技術は急速な進歩し、それに伴って急激な機能向上と低コストが実現するという予言です。この予言は的中し、その進歩スピードは、他の分野では考えられないくらい速いものでした。
もちろん、これを実現した技術者達の努力の賜物ではありますが、このスピードは尋常ではなく、私は半導体特有のものと認識しています。仮に同じ能力の人が航空エンジン材料技術や要素技術の開発に係ったとしても、決して同じスピードで進化することは出来なかったでしょう。そして、この急激な機能向上とコストダウンが、パーソナルコンピュータや様々な分野の制御装置市場を成長させました。
2番目は、1番目と比べるとずっと小さいものですが、これからの時代には重要になりそうな要素です。それは、半導体がスイッチングと増幅作用だけでなく、光電変換に加えてセンサーとしてもすごい潜在能力を持っていたことです。その結果、画像生成、撮像、レーザーはもちろん、光から電力あるいは電力から光への変換が出来るようになり、さらに温度、圧力、加速度等のセンサーも生み出されました。これらの能力が、今のスマホ市場を生み出し、今後は、おそらく無人機産業(無人自動車やロボットなど)やIoT市場を創り出して行くのだろうと思います。
ここで、半導体技術開発におけるマネジメントの貢献を考えてみたいと思います。代表例として、インテルとソニーを採り上げます。
インテルは、半導体製造プロセスをコア技術として設立された会社であり、最初の目標は、メインフレームコンピューター用メモリ市場でした。その戦略は、既存の磁気コアメモリ市場を半導体メモリに置き換えることでした。ムーアの法則は1965年に発表されましたが、これが正しければ、機能とコストは数年で磁気コアメモリを凌駕できるはずという戦略でした。その読みは正しく、その後、磁気メモリは半導体メモリに置き換わっていきました。
一方、その半導体メモリの量産対応で多忙な時期に、日本の電卓メーカーであるビジコン社から仕事を依頼され、それがきっかけでMPU(マイクロプロセッサー)が発明されたと言われています。MPUの特徴は、演算性能は下がるものの、ソフトウェアによって論理回路に汎用性を持たせられることです。専用性か汎用性かは永遠の課題ですが、その当時は専用派が世の中の大勢だったようです。しかも、インテルはその時、半導体メモリの量産で多忙でした。しかし、当時の経営者であったロバート・ノイス、ゴードン・ムーアの2人は、このMPUの開発を続ける判断をしました。ただし、MPUは電卓専用のものと考えており、知財の販売権を開発費と引き換えにビジコン社に渡すという失策を犯しています。
重要だと思うのは、その後、技術幹部の1人がMPUの将来価値を訴えた時、経営者たちは話を聞き、考えを変え、機会を見て知財を買い戻したことです。通常、一度、決めた経営判断を、技術幹部の提言で覆す経営者は居ないと思います。また、技術幹部も一度決めた経営判断をひっくり返すような進言をしにくいと思います。それが出来たということは、経営者と技術者集団の距離が近く、ストレートなコミュニケーションをしやすかったのだと思います。両者のコミュニケーションの良さは、技術系会社のマネジメントでは非常に重要ですが、これはその好例だと思います。この判断の見直しが、インテルを半導体メモリの会社からMPUの会社に転換する道を残しました。
インテルが大会社になってしまうと、予想どおり大企業病にかかってしまったようです。21世紀に入った辺りから、熱の問題により高速化の大きな手段であったクロック周波数を上げられなくなりました。熱が問題となるのは、チップの単位面積当たり電力消費量が増えているということです。過去を振り返るのは易しく、後知恵ではありますが、やはり、熱による技術的限界を認識した時点で、技術開発の方向性について、従来路線と異なるバックアップ策を考えておくべきだったと思います。
ムーアは、1965年の発表において、携帯型コミュニケーションツール、つまり、今日の携帯電話あるいはスマートフォンの出現を既に予言していました。携帯通信の市場がここまで急成長することは一部の人しか予想できなかったと思いますが、その出現は、ムーアの法則から導かれる極めてロジカルなものだったのです。難しいのはそのタイミングの予想でした。ただし、スマートフォンの前ぶれとして携帯電話が普及し始めており、さらに、普及しなかったもののスマホに近い携帯コンピュータも出現していました。携帯通信が、動力を電池に依存するのは当然ですし、長持ちさせるには省電力化が必要になることは容易に想像できます。
つまり、スマホという形態は予想できなかったとしても、パソコンの小型化・携帯化は予想できたでしょうから、省電力MPUのニーズも予想できたはずと思うわけです。コア技術に注力しつつも、それを覆すバックアップ技術を常に考えるという姿勢を持つ会社の例としてソニーを採り上げますが、ここが最近のインテルとソニーとの技術マネジメント上の大きな違いではないかと思います。
ソニーは、もともとバイポーラICが得意でしたが、1970年頃から低コスト化が容易なMOS系ICの技術の重要性を認識していました。そして撮像素子であるCCDの技術開発を開始しました。CCD開発の戦略目標は、デジタル化によって、映像分野の主流であったカメラフィルム、ビデオフィルムの代替を目指すというものだったと言われています。これをリードしたのは当時の中央研究所長で、後に社長となる岩間氏でした。
当初は5年で製品開発するつもりだったようですが、実際は10年程度の時間がかかりました。原因は、技術開発に必要な設備(清浄度の高いクリーンルーム)と人材が中央研究所に不足していたことだったと、元ソニーの方は分析されています。時間はかかりましたが、CCD技術の確立により、1980年代以降、ソニーは、産業用および一般消費者用の映像関連の製品において優位に立ちます。
次の契機は2000年代になって来ました。それまで、撮像素子としての性能でCCDに対抗できる技術はありませんでした。しかし、21世紀に入り、CMOSがCCDに追いつく可能性が認識されました。CMOSは製造性の良さから低コスト化しやすく、また、省電力性でも優れた特性を持っています。ソニーは、最初は小規模に研究していましたが、将来性を確信した2000年代中頃には一気に開発者を増員しました。それが2008年の裏面照射型CMOSという画期的な技術の発明に繋がりました。
現在、ソニーはこの分野で非常に優位なポジションを取っていますが、それは、優位な技術、製品を持っていても、それを打ち負かす技術を裏で研究していたからです。それは、そのまま、予算リソースや人材リソースの配分マネジメント判断そのものと言って良いでしょう。今の得意な技術による製品が好調な時、あるいは、量産や製品開発で多忙になってきた時には、新技術開発をストップあるいはスローダウンしがちだと思いますが、それは致命傷になりかねません。
貴社の技術マネジメントは、自身の優位な技術を凌駕するための技術開発を意図的に実施していますか? そのテーマ選定や進め方について、経営者と専門人材集団の間で、有効なコミュニケーションをするための仕掛けはありますか?
参考文献
- インテル マイケル・マローン 2015年
- 初期ソニーのCCD開発物語 川名喜之 半導体産業人協会 会報No.89 2015年7月
- イメージセンサーの全て 越智成之 2008年